ライトノベルを書きたい

    新人賞を受賞して作家デビューしたい、そんなワナビな僕のとりとめのない夢がつまる予定地。

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    群像劇を活かす【オカルティック・ナインを読んで】

    2014.09.08 (Mon)
    こんにちは。

    先日記事で言及しましたオカルティック・ナイン第一巻、読了しました。

    タイトルに「オカルティック」と入っているように、オカルトを中心として物語が展開します。
    オカルト系アフィサイト運営者、オカルト雑誌編集者、女子高生占い師、ロリータ黒魔術師、と他にも個性豊かなキャラクター達が群像劇で描かれています。
    志倉千代丸先生といえばシュタゲを始めとしたADVが有名ですが、キャラクターの多さとぶっ飛び具合はADVのノウハウが活かされているな、感じました。

    ところで群像劇とは、一つの共通世界で章ごとに様々なキャラクター視点で描かれる、多視点物語を言います。
    ライトノベルで群像劇と言えば成田良悟先生が有名です。
    群像劇の魅力は、それぞれのキャラクター達の物語が交差しする楽しさ、様々な物語が一つに収束していく快感だと、僕は考えています。
    しかし群像劇にはデメリットも存在します。
    例えば、話がちぎれちぎれで物語に入り込むのに時間がかかる。キャラクターが魅力的でなければそのキャラクターの章を読むのが苦痛になる。
    とかですかね。

    さて改めてオカルティック・ナインの話題です。
    オカルトということで、怖い意味で背筋がゾクゾクするような場面があり、読者をドキドキさせるという事の重要さを学びました。
    ホラー系の小説を書くのも面白そうだなー、と思いました。

    さて、僕の個人的な考えですが、群像劇という手法を取るからには、そこに意味がある必要があると思います。いや、あってほしいと願っています。
    一人称で書いていて語り手が変更されるということは、その度に読者が物語から分断されます。それでも変更するのであれば、変更するだけの効果が欲しいわけです。
    例えば、第二十回電撃大賞にてメディアワークス文庫賞を受賞した「僕が七不思議になったわけ」はまさにこの一人称視点の移動を活かした小説でした。

    物語序盤のオカルティック・ナインはこれからどう展開してどう収束していくのか、その過程で群像劇がどう活かされていくのかが楽しみでなりません。

    終わり。
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